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ブラックペアン2の6

二宮君、片手だけで手洗いしてましたね。 あれは普通じゃないです。片手だけだと手洗いできません。笑 ただ面白かったのは右手の代わりを別の人がやってくれたことです。 良い手術と言うのは、助手の手が術者の手になっているのが最高の状況です。そんな手術ができるような環境ですると、手術は本当に良い手術になります。助手が手術ができる位の能力がないとできないので、あのシチュエーションは本当にいい感じでしたね。


あの現場では、手術場の看護師をしながら、医学部に入学して医師になった看護師?医師が手術をしていましたが、そんなに簡単なものではないです。たくさん手術を見てきていても、実際やってみるのと見ているのとでは大違いで、特に我々の頃には、手術をさせてもらえなかったので、40を過ぎてようやく自分の手術がどんなものかおぼろげなくわかった位でした。


僕が40歳の頃は、エキスパンダーを入れてシリコンに交換する手術が始まってきていました。聖路加病院にその手術を見に行って、中村先生に見せてもらいました。帰ってきてから乳房切除をして、エクスパンダーを入れる手術を何人かに行って、その後に岩平先生に手術を見せてもらってシリコンへの入れ替え手術も始めました。2004年の岸和田徳洲会の頃です。


その後岩平先生に勧められて、形成外科の先生の豊胸術、九州大学の先生と私の乳がんの再建術のデータを集めるための研究会に入りました。自腹で会費を払いながら、形成外科の先生たちが東京で行っている会議にも行けず、手術を行った人たちのデータを送るばかりの日でしたが、仕事が終わってからそのデータを作り、送っていました。苦しい時代でした。


そのデータのおかげで、2013年最近手術が保険承認になりました。保険承認になって以降は形成外科の先生にエキスパンダーを入れる手術をしてもらい、私は再建手術をする事はありませんでした。早く形成外科の先生に成長してほしかったからです。それに、乳腺外科を任されていて、忙しかったからでもありました。その後、神戸に赴任してからエキスパンダーの手術手技が認められて、全国でいろんなところで講演会をさせていただきました。形成外科の先生と一緒に全国講演会をしたこともありました。


そんな経験があったので、自分の手術はどんなものなのかなぜこれをしているのかと言うことを考える機会が非常に多く、手術方法の改善を常に行いながら、研究会に一定した結果が出せました。


先日、若い先生と話して感じました。自分がこの手技をするのが、何のためにするのか?それがわかっていないで、見よう見まねでしていても良い手術は出来ません。本質がわかってないので結果が伴いません。時々、自分の手技と違う人と手術をすることで、なぜ自分がそうしていたのかがよくわかります。僕の場合は、関東や神戸など、和歌山と全く違った手技で行う人と手術をしてきたのがためになりました。


いろんな状況によって必ずしも1つの方法だけが正解ではないです。だから僕は、若い先生には、「こうしなさい」とは言いません。僕は「ここを、こうしたかったので、この方法がいいと思ってやっているけれど、もしかするともっと良い方法があるかもしれない」と話します。常に考え続けて、新しい手技、新しい器具が出てきたときに、その器具や手技を最適な状態で使うために考えなければならない。医療には不断の技術革新が必須です。革新出来る医師、考える医師が増えることを望むからです。


あと私が定年まで、数年手術をしたとしても、助けられる人、僕の恩恵を受ける人には限りがあります。しかし成長する遺伝子を次の先生につなぐことができれば、その遺伝子がまた次につながっていきます。先日の植物、我々の子孫とかに似た考え方かもしれません。新しい考え方を、新しい方法を作っていってくれる医師たちが育っていくことを願います。教育の場面を失わない選択をしたことで得られた機会に感謝しています。



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